――ウィキペデイアより引用させていただきました――
ウィキペデイア『リリー・マルレーン』
1941年、アンデルセンの歌の700枚の初版レコードの一枚が、放送で繰り返しかけられ、人気を得た。第二次世界大戦下の一時期、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れるこの歌に、多くのドイツ兵が、戦場で耳を傾け故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。アンデルセンも、慰問で人気者になったが、長くはつづかなかった。1942年夏、アンデルセンの親しい関係にあったロルフ・リーバーマンがユダヤ人であったことが当局に知られ、アンデルセンの歌手活動が禁止され、アンデルセンの録音のレコードの原盤が廃棄される事態となる。「リリー・マルレーン」の歌と曲自体は、ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相の指示により別バージョンが作られる。
日本ではベルリン出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒの持ち歌として知られている。第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、アメリカの市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問、この歌を歌った。このためにドイツでは彼女は敵側の人間(反逆者)と見なされ、戦後も不人気であった。
(ウィキペデイアより引用)
マレーネ・デイートリッヒは、本当にドイツではしばらく人気がなかったですね。
ドイツはアメリカに負け、そして彼女は戦時にアメリカに亡命し、そして戦争が終わってからドイツに戻ってきた。やっぱりドイツ人の目には裏切り者、アメリカの手先に見えたでしょうね。
確か、そのときのフィルムを見たことがあります。
「なんでそんなに私を嫌うのかしら」といった。
それはやっぱり本人にはわからないだろうが、アメリカでなに不自由なく生きていた彼女と、実際のアメリカの爆撃機に命を削り、家族や知り合いが次々と死んでいったドイツ人とはギャップがあるだろう。